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FEATURE

世に出た時に旬でありながら、時代を超えるもの(後編) 菅付雅信 編集者YOU ARE CULTURE SCHOOL. Vol.3 後編 

2016.08.23
SCHOOL

カルチャーの牽引者である方達によるトークイベント「YOU ARE CULTURE SCHOOL.」。三回目の講師は、クリエイティヴ・カンパニー「グーテンベルクオーケストラ」を主宰する、編集者の菅付雅信さん。アート、写真、ファッション、音楽、映画と様々なカルチャーに精通し、国内外の最先端のクリエイターと創造的な仕事を続けてきた菅付さんが、“編集”という営み、そしてカルチャーの本質を、時代や場所を縦横無尽に飛び越え、語り尽くします。今回はその後編です。(前編はこちら。)

4:「世に出たときに旬であり、時代を超えるもの」

僕は、カルチャーとは「世に出たときに旬であり、時代を超えるもの」だと考えています。ここからは、自分がいままでどういうカルチャーに影響を受けてきて、カルチャーはどういう本質やDNAを持っているのか、という話をしたいと思います。

1964年生まれの僕は、70年代中盤くらいから音楽に目覚めました。当時はディスコミュージックやパンクが同時に出てきた時代で、それらが大好きになり、のめり込みました。特に自分が影響を受けたのは、この人たちです。まずは映像を観てください。

YMO「Behind The Mask」
https://youtu.be/xVnNT48vKLg

この映像をレコード屋の店頭で見て、本当に雷に打たれたほどの衝撃を受け、中学生のなけなしのお小遣いをはたいてレコードを買いました。当時、YMOは企画モノ、色モノ的なバンドとして見られていて、当の本人たちもそれくらいの気持ちだったんじゃないかと思います。でも、皆さんご存知のように、その時代を代表し、かつ、今でも聞かれるポップグループになりましたよね。それ以降の日本の、ひいては世界の音楽シーンに多大な影響を与えました。非常にオルタナティブで、カッティングエッジで、変わっていたが、その後のスタンダードになっていった。

彼らが強く影響を受けたグループがあります。それは、ドイツのクラフトワークというグループです。YMOのはじまりは、クラフトワークのようなシンセサイザーディスコのサウンドで、アメリカ人ミュージシャンのマーチン・デニーによる『Fire Cracker』というエキゾチックな曲をカバーしようと細野晴臣さんが他のメンバーに持ちかけたことです。それでは、細野さんが強く影響を受けたクラフトワークの映像を観てみましょう。

Kraftwerk「The Robots 」
https://youtu.be/VXa9tXcMhXQ

お笑い動画のような感じさえありますが、クラフトワークが出たときにも、ものすごくヘンなものでした。しかし現在、彼らの音楽はテクノミュージック、エレクトリックミュージックの一つの大きなスタンダードになっていて、世界中でアリーナツアーを行うほどの巨大バンドになっています。つまり、「世に出たときに旬であり、時代を超えるもの」となった。例えば、その影響は今の日本でも見ることができます。2013年、サカナクションの紅白歌合戦でのパフォーマンスは、セッティングがほとんどクラフトワークと一緒でした。また、ファッションの世界でも、1998年のラフ・シモンズのメンズコレクションでクラフトワークの『The Man Machine』のジャケットのスタイルが引用されています。そのように、いろいろなDNAを撒いているのです。

それでは、今度は違う形で70年代後半に僕がインパクトを受けた音楽を紹介します。

Sex Pistols「God Save The Queen」
https://youtu.be/yqrAPOZxgzU

パンクロックバンド、セックス・ピストルズです。この人たちも出たときは、一過性のバンドだと思われていましたが、この後パンクの流れがずっと続き、いまでも各地でパンクバンドがあります。僕は下北沢に住んでいるのですが、下北沢で現在に至っても一番流れている音楽はセックス・ピストルズだと思います。それくらい、スタンダードになっている。やはり、「世に出たときに旬であり、時代を超えるもの」です。今度は、セックス・ピストルズの仕掛け人、マルコム・マクラーレンが自分で作ったレコードの映像を見てもらいましょう。

Malcolm McLaren「Buffalo gals」
https://youtu.be/9SgvJY9xxcA

ヒップホップはすでにNYに存在していましたが、完全にアンダーグラウンドな動きで、インディーズのレコード会社からしか出ていなかった。しかし、マルコム・マクラーレンはセックス・ピストルズで巨大な成功を収めていたので、メジャーなレコード会社からリリースすることができました。これが初めて世界的なヒットを飛ばしたヒップホップのレコードとなります。MVではマルコム・マクラーレンがヴィヴィアン・ウエストウッドの服を着て踊っており、「パンクロックとヒップホップとが繋がってメジャーな成功を収める」というストーリーが生まれています。これも当時は一過性の企画モノだと思われていましたが、皆さんご存知のようにヒップホップはいまも大きな流れとしてあり、ヴィヴィアン・ウエストウッドは世界的なデザイナーとなりました。この流れのあとに、もっとストリート寄りで世界的な成功を収めたグループがいます。観てみましょう。

RUN-DMC 「My Adidas」
https://youtu.be/JNua1lFDuDI

ヒップホップとスニーカー、スポーツウェアのブームはこの辺から始まっていて、僕もこのときはアディダスだけ着て、同じような格好をしていました。RUN-DMCからさらに白人が影響を受け、もっとヒップホップが大衆化していきます。代表的な例が、ビースティ・ボーイズです。彼らはマディソンスクエアガーデンという巨大なアリーナで開催したライブで50人の観客にホームビデオカメラを渡し、ライブの様子を自由に撮れと言って、そのあと『撮られっぱなし天国』という素晴らしいライブドキュメント映画を作りました。この中で、ビースティ・ボーイズが「俺たち」、「みんな」と言っていますが、彼らは、自分たちが一般のストリートのキッズの象徴であり、キッズの中の一部でしかないと思っているのです。キッズとともにシーンを作り、映画を作っているという意識、その根源には非常に民主的な発想があります。ヒップホップやロックンロールといったポップミュージックにはもともと民主的でボトムアップな発想があるのだと思います。そしてポップカルチャーは、常に“若くて、技術もお金もないが、新しいアイデアがある”者が生み出していくものなのです。

『The Man Machine』(1978年) / Raf Simons 1998年秋冬コレクション photo: Bert Houbrechts / 『撮られっぱなし天国』(2006年)

今度は、80年代以降のファッションの様子を駆け足で紹介しましょう。当然、川久保玲さんのコムデギャルソンが世界的に重要です。彼女の創造の遺伝子を受け継いだ人といえば、初期のマルタン・マルジェラ。朽ち果てた服を発表していたのが衝撃的でした。それと同じ頃、ビョークがソロデビューしました。そのファーストアルバム『Debut』のジャケットで、彼女はマルタン・マルジェラを着ています。MVにもビョークがマルジェラを着ている様子が映っていますね。

Björk 「Human Behavior」
https://youtu.be/KDbPYoaAiyc

ミシェル・ゴンドリーの代表作です。ビョークは初期にマルジェラばかり着ていて、ファッションと音楽の素晴らしい化学反応を起こしていました。その後、マルタン・マルジェラの2000年春夏コレクションでは、女優のクロエ・セヴェニーが被写体になり、極端にビッグシルエットの服を着て、マーク・ボスウィックが写真を撮ります。このように、マルジェラは実験的な服を発表していくわけですが、こうした精神がいまでも継承されていて、2016年で最も注目度の高いファッションデザイナーである、ヴェトモンのデムナ・ヴァザリアは大のマルジェラ好きとして知られています。最新コレクションを見ても、非常にマルジェラの影響が大きいのがわかるでしょう。そしてさらに、デムナ・ヴァザリアがバレンシアガというビッグメゾンのデザイナーも兼任することになり、2017年春夏メンズコレクションでは、オーバーサイズで、モロ昔のマルジェラのデザインを発表しているわけです。また、今年のバレンシアガのキャンペーンでは、写真をマーク・ボスウィックが撮っています。マルジェラのデビュー時に組んでいたマーク・ボスウィックが、デムナ・ヴァザリアから直接依頼を受けて、マルジェラっぽいバレンシアガを撮っている。カルチャーのDNAの継承が行われているのがわかります。

アメリカで最も成功しているデザイナー、マーク・ジェイコブスも、ギャルソン的なもの、マルジェラ的なものを継承しています。2016年秋冬コレクションはゴシックな雰囲気ですが、どう見てもネタ元がマルタン・マルジェラとコムデギャルソンなんですよね。また、このシーズンのキャンペーンでは、デヴィット・シムズが日本のノイズミュージシャンの灰野敬二さんを撮っています(2016年秋冬キャンペーン画像)。誰が見ても昔のマルタン・マルジェラです。カール・ラガーフェルドが素晴らしいことを言っています。「ファッションとは衣服のことではなく、変化のことだ」と。素晴らしいクリエイターは、何をどう変化させ、何を継承するのかというところを、考えているのではないかな、と思います。

せっかくなので映画も取り上げましょう。映画の100年間の歴史を100のシーンでまとめた映像があります。

100 Years/100 Shots
https://vimeo.com/162855085

映画もファッションも音楽もすべてそうなのですが、カルチャーは決して止まらないんです。あるジャンルが元気があるときもあれば、ないときもありますが、止まることは絶対にない。

5:美しいとは何か

最後に、「美しいとは何か」という話をします。僕は、ファッションや音楽、映画、その他すべてのカルチャーは、「美しさ」と関係があると考えています。「美しい」とは何かということについて僕の考えを述べましょう。例えば、僕らはよく、自然を「美しい」と言うわけなんですが、なぜ自然を美しいと思うのか。これを研究したフィリップ・ポールというサイエンスライターは、次のように書いています。「植物を観察して、人ははじめて数学的な探求に誘われるのかもしれない」。彼は、自然の中に潜む幾何学的な仕組みを解き明かしていきます。例えばオウム貝には、対数螺旋係数という方程式があり、花や葉にはフィボナッチ数列がある。すなわち、僕らが「美しい」と思う自然には、その形状に数列や係数があることが多いのです。つまり、僕たちが美しいと感じるものには、自然にも、人工物にも、何らかの「きまり」があるといえるのではないでしょうか。

再び、音楽の話をしましょう。ノイズと音楽の違いは、「きまり」にあると思います。たとえば、クラシック音楽は「きまり」の塊です。昔のドイツの音楽家は平均律や調性、対位法と、楽器の演奏に厳密な「きまり」を作ることで、美しさを追求していきました。それを過去に最も追求した中の一人がバッハです。近代音楽の父と呼ばれている彼は、非常に厳密な譜面を作ったことで知られていて、楽譜はまるで数式のようになっています。その中でも、まるでコンピューターでプログラミングされているような曲があります。その一つを聞いてください。

J.S. Bach「Crab Canon on a Möbius Strip(蟹のカノン)」
https://youtu.be/FmqLFZISvfA

このように、バッハは非常に数学的に音楽を作っていた人です。こうしたことを踏まえ、日本の作曲家、芥川也寸志さんがこのようなことを言っています。「ヨーロッパ音楽の大きな流れは、調性に支えられ、調性を中心に動いてきた。バロック以前の作曲家たちにとって最も重要な課題は、いかに調性を我が物として自由に扱うことができるかだった。ただ、そのあと、ドビュッシーは技法的に調性と対決し、崩壊に導く手がかりを見つけ、シェーンベルクが12音技法を使って徹底した挑戦を行った」。つまり、「きまり」をいかに守るか、もしくは破壊するかが、ヨーロッパ音楽の歴史だった、と。

坂本龍一さんもこのことについて発言しています。彼は東京藝大で作曲科の大学院を卒業し、日本で最も音楽の「きまり」を勉強した人々のうちの一人でもあるわけです。「音楽は時間芸術と言われています。それは学習すれば習得できるということです。人為的、作為的なものは、ルールを学べばできるようになる。でも、僕の場合、それに対する齟齬がいつもあった」。彼は、日本で最も音楽の「きまり」を勉強したがゆえに、それに対する違和感を持っていて、その違和感から自分なりの音楽を作ってきた。

では、その後の近代以降の音楽を見ていきましょう。例えばジャズは、アドリブや即興があり、それまでの「きまり」を壊しながらも、新しいリズムとコードで「きまり」をつくった音楽だと、僕は思います。ロックも同じで、ジャズやブルースの影響を受け、ダンスという行為を促しながら、基本は8ビート、3人〜4人編成、短い曲編成という「きまり」がある。ヒップホップも、そもそも演奏しなくてよかったとしても、ターンテーブルやサンプラーを使う、黒人音楽をベースにしたリズムやラップで構成する、という「きまり」があります。

建築の例を見ていきましょう。建築はまさに「きまり」の塊です。まず、建築基準法を守らなければいけないのですから。例えば、ゴシック建築は、最も工夫された建築物の一ジャンルですが、「きまり」の塊ですよね。そして、今でもゴシック建築的なものは息づいています。藤本壮介さんがフランスで建設中の「l’Arbre Blanc(白い木)」と呼ばれている高層住宅は、見ればわかるように「きまり」が非常にたくさんあります。先ほどのフィボナッチ数列的な係数式に基づいていることを思わせますね。人々は、こういう高度な「きまり」を見て「美しい」と感じるわけです。

オウム貝の螺旋構造 from Wikipedia / アミアン大聖堂(13世紀〜14世紀に建設)from Wikipedia / 「l’Arbre Blanc」(2017年完成予定)

アートの話をしましょう。アートという営みも、視覚において古い「きまり」を壊し、新しい「きまり」を作ることではないか、と思っています。中世までの西洋絵画は、キリスト教か神話についてのみ描くべきで、それ以外は描くに値しないとされていました。したがって。ダ・ヴィンチやボッティチェリも、基本的にキリスト教やローマ神話に関係していることだけを描かされていた。しかし、それまでの約束事に疑問を持った人たちが印象派の運動をはじめて、流れが変わります。自分たちの日常を描いて、当時、大変な論争を巻き起こしました。賛否両論で、アバンギャルドな姿勢、つまりパンクだった。しかし印象派にも、題材が日常的なものであり、淡い色彩を使う、という「きまり」がある。

ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」(1483年頃)
/ ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1876年)

具象絵画の次は、抽象絵画の流れがやってきます。ジャクソン・ポロックのアクションペインティングが有名ですが、それは具体的、具象的なものを描かなくてもいいという発想による、「きまり」の破壊です。それでも、例えば、ポロックの絵は誰が見てもポロックだとわかる色遣いやタッチがありますよね。つまり、ポロックならではの「きまり」がある。そして、絵すら描かなくてもいい、というポップアートが誕生します。でも、ポップアートもポップアートなりの「きまり」があるんです。アンディ・ウォーホルの一連のマリリン・モンロー作品も、有名な人や物を題材にするということ、ネオンカラーを使うこと、という「きまり」があります。

以上をふまえ、19世紀フランスの詩人、ステファヌ・マラルメが新しい文化について語った言葉を引きましょう。「既知のものを土台にしてのみ、未知のものが了解され、衝撃を与える」。何か知っているものを前提として、新しいものはインパクトを与えるということです。このように、古い「きまり」を壊して、新しく魅力的なものを作ること、それが創造の本質ではないか、と僕は思っています。

創造するため、つまり古い「きまり」を壊すためには、それを知らないと壊せません。したがって、過去を知ることは非常に重要です。そして古い「きまり」を壊すには、外からのアイデアや人脈が必要になってきます。過去を知り、外を知り、そこから、人々の力を結集して、新しい魅力的なきまりを作り、人々の心を動かす。これこそが、創造という行為であり、僕なりに勝手に定義する、編集の目的です。

最後になりますが、僕らがどうして美やクリエイションやカルチャーを学ばなければいけないのかについてお話しします。ある素晴らしい映画のワンシーンがあるので、見てください。

「いまを生きる」(1989年)
https://youtu.be/omveFR-2hmg

この台詞がそのまま使われた有名なCMがあります。

iPad Air TV CM
https://youtu.be/Ep2_0WHogRQ

iPad Airの有名なCMです。台詞は、ウォルト・ホイットマンというアメリカの有名な詩人の言葉ですね。私たちが詩を読んだり書いたりするのは、私たちが人間であるという証であり、詩や美、ロマンスは生きる糧なのだ、と。このホイットマンの詩が詠っていることを通して、CMでは、iPad Airという商品、それで行われる人間の営み、すべてに美が息づいていると伝えています。このように、人間の生すべてに美を見出して、表現すること、これこそがカルチャーであり、クリエイションであり、編集だと、僕は考えます。

ですから、カルチャーとは、人々が生きていくための糧です。「人はパンのみによって生きるにあらず」という聖書の言葉がありますが、それは「人は経済のみによって生きるにあらず」という意味でもあると思うんです。皆さんの日常のいたるところに美が息づいているはずです。日々の生活の中で、経済に負けじ劣らず、美が重要なんです。それは僕たちが人間である証だからです。それを日々感じながら、この仕事をしていきたいな、と思っています。

あなたを作ったカルチャーは何ですか?

菅付雅信 編集者

「世に出た時に旬でありながら、時代を超えるもの」

小さい頃から本や雑誌が大好きで、かなり早熟な読書少年でした。ありがちですが、ミステリー小説にどっぷりはまり、中学生になると洋楽にはまる日々。ラジオではディスコ・ミュージックとパンクが普通にヒット曲として並列で流れていて、その両方へだてなく好きでした。当時はジョン・トラボルタのように踊りたく、ブルース・リーのように強い男になりたかった。ただの馬鹿ですね。

そして1979年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のロサンゼルスのライブ映像をレコード店の店頭で見て稲妻に打たれたような衝撃を受け、それからテクノポップ〜ニューウェイヴ三昧。またYMOを起用した創刊イベントを1980年にやった小学館の『写楽』と、同年に創刊されたマガジンハウスの『ブルータス』が大好きになり、それらや音楽雑誌をむさぼり読む10代中後半。大学進学で上京したものの、ミニコミ(今でいうZINE)づくりと雑誌編集部でのバイトに明け暮れ、大学はほとんど行かず、編集部と本屋とライブハウスと映画館と喫茶店が自分にとっての学校でした。

気持ちは死ぬまで18歳(18 until die)のまま50代に突入した今でも、カルチャーとは何か?と訊かれても、それは未だによくわかりません。それは「美しいとは何か?」という問いに、誰もうまく答えられずにいるのと同じかと。ただ、僕を形成したカルチャーは、「世に出た時に旬でありながらも、時代を超える価値を持ったもの」と言えるのでは。さらに、ある世界観のもとで総合的に編み集められたものに魅入られてきています。ロックやヒップホップが、単に音楽だけでなく、独自のグラフィックやファッションなども伴って登場したように。

編集者という仕事に就いて、本や雑誌だけでなく、ウェブや広告、そしてブランドや商業施設のプランニングも手がけるようになっても、旬でありながらも時代を超えるものを創るという意識は変わりません。そして、それが人々の心をより良く動かせるよう、より良く編み集められているかどうか。そのミッションを全うすることが、10代の時に授かったカルチャーへの恩返しだろうと思っています。

菅付雅信 編集者

株式会社グーテンベルクオーケストラ代表取締役。1964年宮崎県生まれ。法政大学経済学部中退。『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』の編集長を務め、出版からウェブ、広告、展覧会までを編集し、コンサルティングやストラテジー立案を行う。書籍では朝日出版社「アイデアインク」シリーズ、「電通デザイントーク」シリーズ、平凡社のアート文庫「ヴァガボンズ・スタンダート」シリーズを手掛ける。2014年にアートブック出版社「ユナイテッドヴァガボンズ」を設立。2015年に株式会社グーテンベルクオーケストラを設立。下北沢B&Bにて「編集スパルタ塾」を開講中。多摩美術大学非常勤講師。著書に『はじめての編集』『物欲なき世界』等。NYADC賞銀賞受賞。

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