JUN

キャリアプラン

成長させてくれたファッションへの深い想い

入社年
2000年4月(アルバイト)2001年11月(正社員)

入社したきっかけとこれまでのキャリア、現在の仕事内容を教えてください。

最初はバイトとして1年ほど働いていました。当時いちばん好きだった店が大阪の心斎橋オーパにあり、そこに応募したのがスタート。1年経った頃、正式に社員になりました。
その後希望していた都内に販売として転勤しました。当時の事業部長から「横浜のルミネ店で副店長をやってみないか?」と声をかけられ、その時「横浜で店長として成果を残せたら、白金店の店長にしてください」という希望を伝えました。その後、店長として1年半務めた後、希望通り当時本店であった白金台の「アダム エ ロペ」の店長に。
その後、白金台は「ビオトープ」としてリニューアルすることになり、作業を手伝ううちにバイヤーについて商品の仕入れに行ったり、本社とショップを行き来する生活に。販売を10年務めた後、念願だったバイヤーになりました。
買い付けは、選ぶだけで終わりの仕事じゃないんです。ブランドとの出荷連絡、倉庫との検品連絡、デリバリーリストの作成など、作業は山のようにあります。今は海外からの入荷担当や日本からの納品担当のスタッフがいますが、当時はロジスティックも自分達で全部やっていました。今はマネージメントの立場になりましたが、いろいろ経験したことで、現場の気持ちを理解できるようになれたのではと思います。
その後ブランド内のチームをまとめる役割を経験した後、現在の役員という立場になりました。現在は、事業部全体のマネージメントに携わりながら、実務の買い付けは変わらず続けています。

成長させてくれたファッションへの深い想い”

販売を経験したことが、今のあなたにどんな影響を与えたと思いますか? 入社して最初の3年間で何を学び、どう行動すればいいか、アドバイスをください。

関西で4ショップ、関東で3ショップを経験して感覚的に思ったのは、関西と東京では微妙に違うカルチャーがあり、また関東といっても横浜と渋谷と白金台では全然違うマーケットだということ。それぞれの地域の特性を幅広く見られたことが、今の仕事の糧になっています。
いろいろな仲間と働けた経験も、今こうして多種多様な人と仕事をしていくという意味でもよかったですね。他社を含めて大手のセレクトショップだと、バイヤーは店頭出身者であることがほとんどなのも頷けます。

仕事を行う際に、5RULESを意識するのはどのような場面でしょうか。

5RULESは仕事のすべてにおいて必要だと思っていますが、いちばん大事にしているのは「Happiness for Everyone」です。
今でこそ海外出張によく行かせて頂いてますが、駆け出しの頃は海外の文化に触れた経験もほとんどありませんでした。本社に配属になってからいろいろなところに行かせてもらっていた当時、NYやLONDON、PARISなどのエリア開発が増えていて、1つのホテルやレストランができたことで街が変わっていく様子を目の当たりにしました。ショップ開発によってお客さまが喜び、周りに住んでいる人にも喜びが伝わり、治安が悪かったエリアがきれいになっていく。1つのコンテンツによって環境を変えられるんです。ショップにはその力があると考えたらこれはおもしろいなと感じ、各ショップを運営するうえでも「Happiness for Everyone」を率先して実行していきたいなと思うようになりました。
JUNグループの中には、世界的に評価されている店が「ビオトープ」をはじめ「ワイルドライフテーラー」などいくつかあり、海外のファッション業界の人達の注目度も高い。そのため、「Global Identity」も意識して店を作りたいと思っています。仕事の合間に海外でもリサーチしますが、最近は新しい店がなかなか無かったり、昔話題だった店でも進化しないままだったり。でも日本のマーケットは毎年のようにいろいろなエリアが開発されていて、見るところもたくさんある。リテールビジネスではトップレベルのマーケットです。その中でいちばんの店を目指していきたい。

これまでの仕事の中で、社会やお客さまに対して「Social Style」につながる働きかけを意識して動いたことはありますか。それはどんな場面で、どのような成果につながったのでしょうか。

今は「サステナビリティ」と言われる時代で「ビオトープ」も売上の1%をmore treesに寄付していますが、元々ファッションが先にあるブランドであることを忘れてはいけないと思います。たとえば世界最高峰のアルパカ素材を使っているブランドとして話題の、デンマークの「The Inoue Brothers」は、ファッションをやりたくて始めたブランドではないです。適正な価格で取引を行うことで、南米のアンデス地方に暮らす先住民の暮らしをよくするという課題解決のために今のブランドビジネスを始めました。でも私達は、真逆の発想からスタートしています。もちろん企業として残っていくことを考えると時流を意識しないといけませんが、急にJUNが「レザーを一切使いません」と言っても意味がないので、「サステナビリティ」というキーワードに縛られすぎないようにしています。
「Social Style」というのは、社会の動きや流れから今求められるサービスをきちんと考えたうえでお客さまに提供する、ということだと思っています。今、普通の感覚を持っている人が求めていることとして、「体にいいものを取り入れたい」「ナチュラルな素材の服って気持ちがいい」などはあると思うので、今はどういう時代か考えて提案することが大事だし、JUNのメンバー全員がそういうサービスができたらとてもいいことだなと思います。

組織を俯瞰で見る立場になったことで、自身の中で変化したことはありますか。また、どのようなリーダーでありたいと思いますか。

組織としては、各々が自分で考えて行動できる集団にしたいです。言われたことをやるだけではダメ。自分のアイデアを具現化し、周りに響かせることができる人。事業部をそういう人がいる集団に育てていきたいし、僕自身もそうありたいと思っています。自ら率先してやる仕事の方が楽しいし、その方がお客さまに喜んでいただける物を創れると思います。
役員の中でも自分は“商品寄り”の人間だと思っているので、数字ではない部分、ファッションの部分でのマネージメントを支えたい気持ちが強いです。
「どんな服を次に着たいと思っているか」「人気なのはどんな服か」など、ショップスタッフはもちろん、特に内勤者にはファッションの話を多くするように心がけています。

役員の中でもファッションやクリエイティビティ寄りの存在のようですが、そこを特化してこられた理由は何だったと思いますか?

まずファッションが好きだったということは当然あると思います。他には、「バイヤーになりたい」と入社1年目の頃からずっと口に出していました。ショップ勤務9年目くらいのとき、まだバイヤーになれていないことに対して「もう諦めたら?」と言う人もいて。ここまできて好きでやってきたことを諦めるのは嫌だと思い、絶対にバイヤーのポジションをつかもうと改めて思いました。
バイヤーになり、会社にファッションの分野で活躍できるチャンスをたくさん与えてもらったことで、自分はここに特化していっていいんだな、と思えるようになりました。そういう意味では恵まれていると思います。社長からも「ファッションという部分は常に大事にしなさい。一方でマネージメントや経営視点をもっと鍛えなさい」と言われています。私自身もファッションに特化できる人を育てて行きたいし、自分ができる範囲でサポートしていきたいです。
バイヤーというポジションは1人か2人しかいないから、そのチャンスをつかむためのアピールはしなくちゃいけないと思います。どういうアピールかは人それぞれ。ただ「やりたい」と言うだけでもダメですが、「やりたい」と言う人そのものも少ない気がします。僕は1年目の頃から事業部長が来たら必ず伝えていました。そこで初めて「君バイヤーになりたいのに、そういう行動になっていないよ」という助言もできると思います。他の企業の人と話していても今は声を出して実現したい仕事を伝える人は少ないって聞くから、声に出すだけでも違うんじゃないのかな。まずは自分から発信することです。

今後、実現したいことは何ですか。具体的に教えてください。

今の自分の立場でいうと、もっとお客さまに喜んでもらえる仕掛けがしたいし、もっと世の中に喜んでいただけるお店を作りたいです。たくさん店を出す時代じゃないかもしれないけど、「ビオトープ」はあと数ショップ出したいし、「アダム エ ロペ」でもシンボリックな店を2〜3店は作りたいと思っています。

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